アシュレイ

今朝読んだ友人からの便りに、Donovanの"Happiness Runs"の中にある"Happiness runs in a circular motion"(幸福は輪を描いて駆け巡る)という詩句と、星野哲郎の詩『365歩のマーチ』にある「幸せは歩いてこない。だから歩いていくんだよ」というフレーズが記されていました。その便りは、優しい思いやりにあふれていて、私を思わず微笑ませてくれるものでした。よき出会いに恵まれて、私は幸せです。

そこで今日は、「幸せ」について、古代ヘブライ人の考えをご紹介しながら、私が感じていることをお話します。


私の英語教室の名前は「アシュレイ」といいます。「アシュレイ」(אשרי)とは、ヘブライ語で「幸いな」を意味する言葉なのですが、その語幹の「シャレム」には、「ノミをあてていない」という意味があります。

なぜ「ノミをあてていない」ことが、幸いに通じるのでしょうか。理由は次のとおりです。

聖書の世界では、神への祭壇を築くときに、自然石を積み重ねました。一つひとつの石を切り出して形を揃えることはけっしてしませんでした。石一つ一つの様々な姿をそのまま神に捧げるためです。あらゆるものは、神の創造の業によるものであり、神は創られたものを「よしとされた」(創世記)からです。神は、私たちのありのままの姿を喜んで受け入れてくださる。だから、無理に矯正しようとせず、そのものの良さを受け入れることが幸せだというのが、聖書の考え方です。

古代ヘブライ人のこのような考え方に学び、私の教室では、生徒一人ひとりのありのままの姿を受け入れ、その良さを伸ばしていくという方針をとっています。互いを受け入れ、学びあいながら、成長していく幸福を大切にしたいと願い、アシュレイという名前を教室につけたのです。


ありのままの姿を受け入れる「アシュレイ」は、私たちを余計な心配から解放し、一人ひとりを生かしてくれると感じています。



斑入りウツギ(フロリダ・バリエガータ)