この国の政治はなぜかくも劣化したのか―― DIAMOND ON LINE 2011.6.6.から  ☆6月9日にJohannaが付記

原 英次郎 [ジャーナリスト/ダイヤモンド・オンライン客員論説委員] は、以下のように述べています。

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この国の政治はなぜかくも劣化したのか――
被災地無視の菅内閣不信任騒動で極まった
「選良」たちの厚顔無恥と議員内閣制の制度疲労

菅内閣に対する不信任案を巡る三文芝居は、結局、大義も何もない菅降ろしが目的だったことが明らかになった。国家的な危機に際して、政争にうつつを抜かす国会は本当に必要なのか。民主主義にとって由々しきことだが、そんな疑問すら起こっても不思議ではない。

 開いた口がふさがらないとは、まさにこのことだ。しかも、権力の座を巡るごたごたが、「選良」の集まる国権の最高機関・国会で行われているのだから、被災者にはやるせなく、世界に向かっては痛く恥ずかしい。最も、当のご本人たちには「恥」という日本的美徳は、とっく昔にお忘れのようだ。

 去る2日に、菅直人首相が退陣の意向(と回りは受け止める)を表明してから、自民党公明党たちあがれ日本が共同提出した内閣不信任案を巡る情勢は一変した。与党民主党で、不信任案に賛成する構えを見せていた小沢一郎元代表の支持グループが自主投票を決め、不信任案は民主党の反対多数で否決された。三文芝居もこれで一応幕引きかと思いきや、翌日から菅首相が退任時期を巡って言を左右するのを受けて、首相に引導を渡したつもりの鳩山由紀夫前首相が、菅総理を「ペテン師」呼ばわりする始末である。

 中国のある高名なジャーナリストが言う。「いまは国会が一致団結して、国難に当たることが最優先ではないでしょうか。ところが、国会で行われていることは、菅さんが好き嫌いというレベルの争いのように見えます」。こう言われても、反論できない。結局、一連の騒動は、震災と原発をネタに菅首相を引きずり下ろすことが目的の権力闘争だと、判断せざるを得ない。



続きはこちらでどうぞ。

http://diamond.jp/articles/-/12568

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ここからは、私Johannaの感想です(6月9日朝に記しました)。



政界の現状は確かに酷いけれど、ジャーナリズムもそれに負けないくらい酷いと、私は思っています。
マスコミの報道や、評論記事も玉石混合ですから、煽られないようにしなくてはなりませんね。


上にご紹介した記事には、賛同できるところもあるのですが、よく読むと、「本当にそうだろうか?」と考えさせられてしまいます。


民主党についての批判は、いささか手ぬるいと感じます。私に言わせれば、あのお三方は、いわば全員ペテン師です。
管首相がその場しのぎに、態度を変え、見苦しい言い訳をするのにはもうウンザリ。老獪な小沢氏の狸ぶりは、誰もが知るところ。そして鳩山氏は、普天間の件で、"Trust me."と、米大統領に嘘をつき、何の策もなしに、日本国民に「最低でも県外」と公言した人物です。その彼が、自分のことを棚に上げて、管首相を批判するのは、まさに恥知らずではないでしょうか。
さらに、民主党の若い国会議員ですが、彼らの大部分は、当選してからダメになったのではなく、もともと議員としての力量が圧倒的に足りない人たちなのです。


そのような人たちの当選を可能にした選挙制度は、確かに改革すべきでしょう。
しかし、だからといって、一足飛びに、首相を国民が直接選べばよいというものではないと思います。
米国の大統領選は、最終戦に至るまでに、地域の小さなコミュニティーからより大きなコミュニティーにかけて、徐々に民意を結集しながら自分たちの意見を代弁できる代表者を決めていくという、民主主義の息の長い取り組みを重ねていくわけですから、単純に国民が直接大統領を選ぶとは言えません。
日本の首相を直接国民が選ぶ制度について、あまり短絡に考えることはできないと私は思います。制度次第では有効かもしれませんが、政治を見つめる国民の成熟度に疑問を感じざるを得ない現状では、衆愚政治に陥る危険もあります。


原氏が、「ある県知事の意見」として紹介されたのは、自民党が震災直後に提案した意見とほぼ同じものですね。
それをご存じの上で、本稿を書かれたのでしょうか。既成政党の中で進行していることを、本当によく御存じなのでしょうか。
最高幹部以外にどのような有能な人材がいるのか、若い世代の党員はどう育っているのかなどにも目を向ける必要があります。
この2年間、自民党は、彼らなりに反省し、努力をし、若い世代を育てています。最高幹部が性急な動きをする時にも、政調会長石破茂氏は冷静に状況を洞察し、政策を練っています。それは評価すべきことだと思うのです。


「リーダーがいない」「自民党はもうだめだ」という認識は、現状には当てはまらないものになってきていると、私は思っています。
既成政党を頭ごなしに批判すればよいというものではありません。復興のために一致団結して協力すべき今、「馬鹿の一つ覚え」のように、言い古された言葉を繰り返すだけでは、日本は立ち直れません。良いリーダーになってくれる人材を見出し、現在あるものを活かしていかなくては。そして、将来の逸材を育てていかなくては。そうしていく中で、やがて新しい政党の誕生が実現することもあるかもしれません。


現在、自分たちでは何もできない民主党は、自民党などの野党と組むことによって何とか政治を続け、党の信頼を取り戻したいのでしょう。あるいは、連立など組むことができないのを承知の上で、自民党は非協力的であるとの印象を国民に植え付けたいのでしょう。しかし、現実を見失い、馬鹿げたマニュフェストを撤回する決断力も持たない彼ら、実質的に分裂し、統率力を失った彼らは、自分たちが実力不足であることを認め、潔く野に下ることを視野に入れるべきです。将来、二大政党政治を本気で目指すのであれば、今は理性を取り戻して、日本の未来のために、政権の座を自民党に明け渡すべきです。そのように私は考えます。

政治は、高い理想、広い視野と深い洞察、そして現実的な柔軟なアプローチによって、進めていくべきものでしょう。