福島の惨劇について 手嶋龍一さんによる指摘

手嶋龍一さんが、福島原発事故発生後の初動についてのリーダーの判断の誤りを鋭く指摘しておられます。
初動の遅れやアメリカの申し出を断った判断への疑問については、私も、以前、この日記や他の場所で書いてきました。手嶋さんの文章は、状況を客観的に検証しながら、日本の危機管理の稚拙さを明確に述べ、改革の必要性を示唆するものです。

以下に、全文を引用させていただきます。
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ブラック・スワン」福島の惨劇
月刊FACTA 2011年5月号掲載記事

 「黍(きび)や夏白菊がそこかしこに咲き誇っている。波(は)布(ぶ)草(そう)の群れは街の中心部からまるい円弧を描くように勢いよく蘇っていた。黒焦げの残骸の間に族生しているだけではない。煉瓦やアスファルト道の割れ目を縫って萌えだしている。これらの草花の種が核爆弾と一緒に播き散らされたかのようだ」

 核爆弾が人類の頭上に初めて炸裂した広島の惨状を現場から伝えたルポルタージュ『HIROSHIMA』の一節である。著者のアメリカ人ジャーナリスト、ジョン・ハーシーは、ウラン濃縮型の核爆弾「リトルボーイ」が投下され、放射能に塗れた街の表情を克明に描いている。その抑えた筆致が原爆の恐ろしさをかえって際立たせているのだろう。

 あの日から数えて66年目、「FUKUSHIMA」の上空にブラック・スワンが舞い降りた―と欧米のメディアは報じた。純白であるべき白鳥が漆黒の羽をまとって日本に出現したというのだ。起きてはならない不吉な出来事の隠喩としてブラック・スワン福島原発の事故に重ね合わせたのである。

 福島原子力発電所二酸化炭素を出さいよう環境に配慮し、IAEA国際原子力機関の査察を通じて核開発の疑いを払拭した優等生を自任してきた。大きな地震に見舞われても、幾重にも施されてきた安全装置が直ちに作動し、炉心溶融など決して起こらないと周辺住民を安心させてきた。

 だが、宮城沖で発生したマグニチュード9.0の巨大地震は、安全性の神話を完膚なきまでに破砕してしまった。電力会社も、原子力安全・保安院も、総理官邸も「いっさいは未曽有の災厄のゆえであり、事前の想定を遥かに超えるものだった」と釈明し、ブラック・スワンの出現は神の祟りと言わんばかりだった。

 だが「FUKUSHIMA」の惨劇は、事前の想定を超える事態のゆえではない。想定を超える事態に向きあおうとしなかったことで、被害は拡がっていったのである。核の時代を生きた語り部アルバート・ウォルステッター博士は、まだ見ぬ危機に挑まなければならない者の心構えをこう諭している。

「想像すらできない事態を想定して危機に備えておけ」

 生まれるはずのないブラック・スワンに責めを負わせる日本のリーダーの無策が、福島原発の傷をここまで深くしてしまったのだ―核の時代の語り部ならこう断じただろう。

 先の世界大戦で米国は、原子のエネルギーを核兵器に仕立てて、HIROSHIMAに閃光を浴びせかけた。戦後は原子力の平和利用の名のもとに原子力発電所が世界各地に建設されていった。だが今回の事故の内実が明らかになるにつれて、人類は「神の火」ともいうべき原子のエネルギーを果たして御していけるのかという疑念の声が持ち上がっている。

 いかなる大災害も初動の24時間が全てを決する。福島原発の事故もまた初日が運命の岐かれ目だった。原子炉の非常用電源が止まり、冷却装置が作動していないことが判った段階で、最大の危機管理体制が敷かれるべきだった。だが首相官邸原子力安全・保安院も、クライシス・マネージメントを原発のオペレーターにすぎない東京電力に任せてしまった。致命的な判断の誤りと言っていい。

 炉心溶融が現実のものになりつつあるのに、東京電力営利企業の発想の殻を破れず、海水を注入して廃炉にすることを躊躇し続けた。その一方で首相官邸は、福島原発をめぐる危機対応がまずいと東京電力を責め続けた。現場から膨大な情報を吸いあげて、次なる決断に役立つインテリジェンスを選りわける術を持っていなかった。世界第3の経済大国でありながら、ニッポンには初歩的な「インテリジェンス・サイクル」さえ機能していなかったのである。官邸、保安院東京電力は負の情報連鎖に巻き込まれていった。

 この段階でなお菅直人首相が福島第一原発の現状をさほどシリアスに考えていなかった傍証がある。3月11日の夜の段階で、果断な措置をとらないまま、翌12日の朝にはヘリコプターを仕立てて現地に飛んでしまった。現場は首相一行を迎える準備に振りまわされ、次第に熱を帯び始める原子炉への対応を大きく遅らせてしまった。本来なら非常事態を宣言して原子炉への海水の注入を命じるべきだった。だが、菅首相は現地視察を強行し、この後、菅首相東京電力に乗り込んで情報の提供が遅いと厳しく叱責している。叱り飛ばされるべきは首相自身だろう。

 ウィンストン・チャーチル卿は、ナチス・ドイツ軍のポーランド侵攻を受けて海相として戦時内閣の重要閣僚に帰り咲いた。25年ぶりに海軍大臣室に入ったチャーチル卿は、その瞬間から矢継ぎ早に指示を発して誤らなかった。

「私は開戦前の数年、英国海軍に対するもっとも厳しい批判者だった。にもかかわらず、海軍の中枢からは重要な軍事機密を打ち明けられていた」

 下院議員として野にあったものの、すでに私的なインテリジェンス・ネットワークを備えていたのだった。情報とは命じて提供させるものではない。自らの威信と信望によって自然と吸い上げるものなのだ。

 チャーチル卿は、ドイツへの総攻撃の指揮を執るモントゴメリー総司令官の采配ぶりを斥候兵の筆致でスケッチしている。少佐クラスの若い補佐官を司令官の名代として最前線の部隊に派遣し、徹底して生の戦局を掴んで報告させる。彼らの現地報告は、各司令部から上がってくる公式な報告の真贋をチェックする役割を果たしたのだった。

「現場に差し向けた補佐官の情報は、複雑な利害が入り組む各司令部へのまたとない制御装置の役割を果たしてくれた」

 その一方で各司令部から上がってくる報告は、総司令部の参謀長があらかじめ選り抜き、厳しく評価したうえで、モントゴメリー総司令官に提出されていた。かくして、総司令官は生々しい戦況を精緻に把握する一方で、精緻な全体状況を掴んで、適確な命令を下すことができたとチャーチル卿は述べている。

 ここにはインテリジェンス・サイクルを粛々と回すことの大切さが比類のない簡潔さで示されている。いまの日本にもそんな指導者がひとりでもいれば、福島第1原発のクライシスに遭遇して、全く違った采配を振るい、局面を変えていたことだろう。

 その最たるものは、国際的な危機管理員会の創設であったはずだ。事故直後に、正確な災害情報を主要国に開示し、様々な危機に遭遇して豊かな経験を持つ米国やフランスから司令員と緊急要員を受け入れ、国際社会の叡智を集めて「神の火」を制すべく立ち向かっていたら、レベル7の事態は避けられたことだろう。

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